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Vol.4 「精神保健のエキスパート」吉村先生に文教の院生がインタビューを行ってきました。

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● 社会の中の臨床場面

院生:
現在の研究テーマについて教えていただけますか?
吉村:
私は、臨床場面に組み込まれている社会的な要素に非常に興味があります。つまり、1対1の臨床のシーンといっても、それらが構築されている場面と社会的な制度や文化とは無関係ではありませ。どのような基盤のうえで臨床家が力を発揮しているのか、どのような条件によって臨床家の力が効力をもつのかということについて非常に興味があります。
これは、一般的には個人の力量とされているんですが、そうでなくてお膳立てみたいなものがあると考えているんです。
そのお膳立てというのは、資格制度や医療制度であったり、あるいは場面における人やモノの布置の仕方であったりします。そういうものが個々の臨床場面にどのような影響を与えているのかについて丁寧に見ていくということにすごく関心をもっていますね。
たとえば、同じテストバッテリーでも場面における布置の仕方によっては、権力的に機能することもあれば、クライエントとのインタラクションを促進するツールとして機能することもある、というような差異が生じます。また、臨床場面における人やモノ、たとえばアセスメントツールや評価尺度などの用具がどのように布置されているのか、それが専門職の統制力とどのように関連しているのか、またクライエントの統制力とどのようなせめぎ合いを起こしているのか、そういう力動に興味があるのですね。
とくに軋轢や葛藤が生じている場面、つまりもめている場面での力動に興味があります。臨床場面といっても、臨床心理士の臨床場面もあれば、ソーシャルワーカーの場面もあります。利用者との軋轢や葛藤が日常的に生じている場面を、専門職個人の力量の問題としてではなく、社会的な場面として捉えていくことが重要だと考えています。そして、専門職の統制力の前に覆い隠されているクライエントと呼ばれる人たちがもつ統制力や、援助する側と援助される側の統制力のせめぎ合いを分析することに興味をもっています。これは1対1のカウンセリング場面だけじゃなくて、グループアプローチの場面、あるいは医療やリハビリ、福祉施設の臨床場面であるとか、高齢者施設のグループホームケアの場面とかでも認められるものであり、より良いサービスを考えるには、以上を分析することがものすごく重要になってくると思っているのです。
たとえば、認知症ケアを行っている高齢者施設の食卓の場面などを観察する場合、その場面の会話の流れだけに注意を向けた場合は、ケアスタッフが常に認知症の高齢者に対してリーダーシップをとっているように思われます。しかし、細かく見ていくと、実は認知症の高齢者の方が食事の開始や終了についてのリーダーシップをとっていることがわかることがあります。ケアスタッフは彼らのリーダーシップに連鎖して動きや声掛けをしていることがわかったりします。このようにサービス利用者が如何に場面に自律的に適応しようとしているのか、あるいは場面を自律的に統制しようとしているのかが、わかることがあるのです。普段は専門職の統制力の影に隠れて見えない、常に受け身だと見なされている利用者がどのような適応の努力をしているのかということを見ていくことが重要だと感じていますし、そういう風にみていくとあらゆる臨床場面で同じようなことが起こっていると感じられることがあります。
利用者の側の適応の努力や自律的な統制力によって専門職のサービスが成り立っている面があると思うのですが、利用者を主体にすると言いながらも、そこにはあまり焦点があたっていない、病理があるから、援助対象だから、援助者がコントロールしなければならない、分かってあげないといけない、という暗黙の前提というものがあり、そのなかでせめぎ合いが生じていると思います。

● 社会学の手法で臨床を捉える

吉村:
誤解を受けるかもしれませんが、私は以上の統制力と統制力がぶつかり合う場面としての臨床場面をポリテックに捉えています。だから、臨床場面でも、社会学の手法で相互行為分析、会話分析とかをやっています。専門でいうと公には、精神保健福祉分野のソーシャルワークと心理臨床という言い方しているんですけど、社会学的な手法を臨床に応用する、社会学的な手法で臨床を捉えるということに興味があるのです。その他の興味としては対人援助の学習環境ということを考えています。とくに教育のなかに医療や福祉のユーザーと呼ばれる人たちをどのように位置づけるべきかということを考えています。援助職の養成教育ではユーザーは援助対象として受け身に扱われてきたと思うのですが、そうではないやり方としてユーザーが参画する教育に取り組みたいと思っています。 私の考えでは、専門職を養成するところというのは、やっぱり現場とのつながりが大事だと思うんですけど、現場の状況と大学が全然違うのは大学の学習環境のなかにはユーザーが存在していないことです。
私は大学教育に恩恵を受けた心理職というよりは、現場、実践に根ざした心理職というところがあるので、大学の学習の条件として、利用者不在というのは来た時から非常に違和感があります。
調べてみると、イギリスなどでは国策として精神医療ユーザーが政策に参画していると言われますが、教育においても参画が図られているようです。
アカデミックユーザーなどという呼び方がされることがあるようですが、日本ではユーザーというかサービス利用者は教育に参加したとしてもゲストスピーカーの単発式の授業参加が主で、まれにワークショップやロールプレイのファシリテーターのような役割を果たす場合がある程度ですが、以上の機会も極めて稀です。私自身は、単にスピーカーとしてだけでなくて、授業評価とか授業のデザインに利用者が参画できる体制が作れないかと考えています。これはこれで報酬の問題とか、能力がある方と無い方の差をどうするのかなど、色々と問題もあるのですが、今は教育への利用者参加というテーマからのアプローチに取り組んでいます。
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