top › 高石浩一先生(PAGE1) › 高石浩一先生(PAGE2) › 高石浩一先生(PAGE3) › 高石浩一先生(PAGE4)

Vol.7 魂、そしてインターネット。マルチな高石先生に文教の院生がインタビューを行ってきました。

Page4

● 成長って何だろう

院生:
人間的な成長とセラピストとしての成長は別物だと仰ってましたが…。
高石:
簡単に言ってしまえば、「成長=良きもの」と捉えて良いのかっていう疑問がある。最近、僕はどんどん年を取っていって、かつてできたことができなくなっていくということを実感している。メンタルには人間はいつまでも成長していくものと言うけれど、そうならなければいけないと言われると、息苦しくてやってられない。どんどん嫌な年寄りになって、意固地になっていってもいいんじゃないか。それは、成長でなく退化だけど、そういうのもありじゃないかって思う。例えば、よく嫌味で言ってるんだけど、ユング研究所行って自己実現して帰ってくると、嫌な奴はますます嫌な奴になって帰ってくるというのがあるわけ。ただね、カウンセラーとしてはどうなのかって考えたら、カウンセラーとしての力量は上がっていると思う。人間的には嫌な奴になってくるんだけど、治療者として能力は高くなっている気がする。バランスのとれた人は、一方的なわけのわからないことは言えないけど、偏った人になると、とんでもないことを言えるようになる。クライエントにとっては、そういうのがフィットするかもしれない。そういう意味で、治療者としての能力は高まる、成熟することはありうるけど、人間的に周りの人から見ると、かなわん人になっていくということがある。本人的には良いかもしれない。自分らしく個性化していくわけだから。 歳とっていくっていうのも、そういうところあるでしょ?年寄りだからわからない、出来ないって開き直って、老人力が高まって、周りは迷惑っていうの。本人的には生きやすくなっていく。それはそれでいいんじゃないかって思う。あまり「成長=善なるもの」と思っていない。常にプロセス。僕は今、非常に面白く思っているのは、自分が歳を取って、ものを忘れていくとか、変なところが痛くなるとか(笑)、物事ができなくなっていくっていうのは、この年にならないと体験できない初めての体験。同世代の人が病気などで死んでゆくことが、ちょっとづつ周囲で起こり始めている。今までほとんどなかったけれど、死がちょっとづつ身近になってきている。こういう体験はここまで生き延びないと、なかなか体験できない。これは面白い。子育てに関してもそうで、教師としては18歳から22歳までの人の成長を4年間見慣れているわけだけど、自分の子どもが大きくなっていく、その親としての自分は初めての体験。色々新しいことが起こってくる、こんな面白いことはない。例えば病気になってしんどがっている子どもを見たときに、子どもの代わりに自分が病気を引き受けてやりたい、なんて気分に自分がなるとは思ってもいなかった。だけど本気でそう思っている自分、「ここまで思うんだ、俺って…」という自分を発見する。これは子ども持たないとわからない。新しい発見が幾つになってもある。これは成長というのとは違うような気がするけど、変化ではある。
変化を味わいつつ生きていくということになるんだろうな…。“カウンセラーとしての変化”と“人間としての変化”。今上り坂のあなた方に、下り坂にいる僕の感覚はわからないだろうな…ざまあみろ(笑)。いずれ気がつく、わかるから(笑)。今はたぶんわからないと思うけど、この歳まで生き延びたらわかる。
院生:
成長って聞いたのは、人間的な成長はセラピストの成長につながる、セラピストとして成長したら、人間的にも成長して、極端に言えば、個性化の方向ではなくて、すごく社会適応ができる人になるというイメージで聞いたんです。
前のページ次のページインデックスに戻る