あーゆす10号1頁

『ふらんす物語』再読
副館長・助教授  伊 藤 和 男

「ああ!パリー!自分は如何なる感に打たれたであろうか!有名なコンコルドの広場から、並木の大通シャンゼルゼー、凱旋門、ブーロンユの森…」と永井荷風(1879-1959)は明治40年(1907年)7月、彼の憧れの地に到着した感激を『ふらんす物語』の中で語っている。「…フランスの自然は、母親の情(なさけ)というよりも、むしろ恋する人の心に等しいであろう。」とフランスの自然の美しさを賞で、「恋も歓楽(よろこび)も、現実の無惨なるに興さめた吾(われら)には、何という楽園であろう。」と人の世の青春の恋を称え、「終の全きもの、目出度いものに、何一ツ真の生(い)きたる夢が宿り得よう。自分は全からぬ恋にやつれて死にたい。」と青春の夢と恋に心酔する姿を表現している。

荷風の愛してやまないモーパッサン(1850-1893)の石像のある魅力的で優雅なモンソー公園。「私は先生のように、発狂して自殺を企てるまで苦悶した芸術的の生涯を送りたいと思っています。…先生は人生が単調で、実につまらなくて、つまらなくて堪えられなかったらしいですね。愛だの、恋だのというけれど、つまりは虚偽の幻影で、人間は互に不可解の孤立に過ぎない、その寂寞(せきばく)に堪えられなかったらしいですね。…」と呼びかけ、虚無的絶望感に共感したりもしている。パリと永遠に別れる日が近づくと、「…自分は何故一生涯巴里にいられないのであろう、何故フランス人に生れなかったのだろう。」と嘆きながらも、「旅人の空想と現実とは常に錯誤するというけれど、現実に見たフランスは、見ざる以前のフランスよりも更に美しく、更に優やさしかった。」と荷風の青春の恋人フランスを絶賛する。そして「…自分はよし故国の文壇に名を知られずとも、芸術家としての幸福、光栄は最早やこれに過ぎたものはあるまい!」とまで断言するのである。

二十代の学生の頃に読んだ『ふらんす物語』は私にとっての青春の書と言えよう。はじめてパリを訪れた時に、私自身、身体全体で感じ取り味わうことが出来たと思っているパリ、フランス、そのすばらしい文化に対する感動をこの書は見事に代弁してくれている。七月の雨上がりのオルリー空港から、ソルボンヌの夏期講座に参加するため、車で雨に光る魅力的な石畳の道を行った時、私にとって全くはじめての西洋との対面が始まったのである。パリの町、人、言葉、すべてがよくわからぬままにも私には快いものであった。「…Agreable―こころよき。かかる語(ことば)の真の意義は、フランスでなければ、決して味い得べきものでないと、つくづく感じた。」とある。

青春の時期の感動は年とともに消え去り行く傾向にあるのだが、私にはその後パリを訪れても、その感動は増大しこそすれ、決して消え去ったり萎縮するなどということはない。なつかしい『ふらんす物語』を今再読し、新たな感激を覚えている。これは決して誇張された青春の、ある一時期の浅薄な情熱の表現ではない。そこには何か不変的な、人間の持つ純粋な憧れがすぐれた文章で美しく表現されているように思われる。

(引用は岩波文庫『ふらんす物語』永井荷風著より)

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