あーゆす10号2頁

中国旅日記 或る幼女との小さな出会い
教授(造形表現)  津 田 直 樹

中国南京市の或る大学へ、私は1人の女子学生を訪ねていた。学生課の女性と女子寮へ向う途中、その学生の中学生の頃を想い出した。日本の童謡が好きでよく歌った。ある時赤とんぼの歌詞の意味を教えろと言い、三番でやっぱりそうかと涙をこぼした。そして、何故このような悲しい歌を日本人は好むのかと私を手こずらせた。グランド沿いは梅や桃の花が満開で、中に白い花をひっそりとつける桜の木もあった。女子寮に着いたら、女性は今来た道を自転車で猛スピードで帰って行った。重くて黒い自転車はガガガーと鳴り続いた。私は受付の男性と石炭ストーヴを挟んで向い合った。そして、今訪ねる学生について彼に話した。

初めて出会ったのは遠い昔、彼女は幼女だった。いつものようにスケッチをしていたら、その子がやって来て、目を輝かせて色鉛筆やえのぐと遊んだ。その子の若い父親は、洗濯物を干しに出て、乾いた頃に取り込んでいた。夕方になって大雨が降り、私はその子と父親と3人で遠いバス停まで歩くことになった。1度太鼓橋のてっぺんで別れたのだが、彼等は又追いついて来た。どこか遠くで私の間違いを見ていたのだった。バス停まで40分程歩いた。幼女は傘の中で、父親の肩越しに、ずっと喋っていた。父も喋って、時折幼女は嬉しそうにケケと笑った。止まらなかった。バス停に着いた時、彼も私もずぶ濡れで、幼女は濡れていなかった。とても温かい道中だった。私が若い父親に、帰りは力車に乗るようにと10元渡そうとしたら、「歩いて帰る」と言い切った。しまった。彼等の気持ちを壊したように思えた。バスは大混雑で、狭くなった窓からやっと見えた。幼女は、父親の背中で赤い色鉛筆を握って帰って行った。もう暗くなっていた。2度と会えないいつもの旅だ。私の旅はそれからも毎年続いて、久し振りにこの町を訪れた。幼女と出会った町である。大雨の別れで若い父親に失礼した。彼等はどうしているのだろう。幼女はいくつになったろう。今もあそこに住んでいるだろうか。私の旅は、名所や観光地を避ける旅である。名も無いあそこなんて分るはずがない。ひしめく民家を縫う迷路を、スケッチし乍ら歩いていたら運河に出た。石灰や石炭を山積みにして、船がひっきりなしに走っている。おやっ、石造りの太鼓橋が現われて、寺や塔も見えて来た。昔スケッチした場所だ。近づいて来た柳の木の下にあの石がまだ在った。思わず坐り込んだら9年前に戻った。目の前の木戸から、今にもあの幼女が出て来そうに思えた。煙草を吸って木戸をたたいた。誰も居らず、隣家の老婆は前の流れを凝視している。己の人生と重ねているのだろう。私の問いに「知らん」と言った。やりとりすると中国では必ず人が集まって来る。1人の男が、近くで新聞を読んでいる老人の処へ私を連れて行き、大へんな事になった。「この男は9年前に出会った幼女を捜して、はるばる日本からやって来たあ」。人は人々となり、「アヤー」と言っている。1人の青年が走り出して、老人は言った。「あの時幼女は5才で、今年14才。8年前に親と遠くへ引越して、何処に居るか分らない」と。私は早くその賑やかな場所から逃げ出したかった。皆に頭を下げたら又やかましくなった。「幼女の祖父が近くに住む。今呼びに行ってる」と。老人は、「その子はお前と別れてから見知らぬ者が通る度、『あなたは日本人ですか』と声を掛けていた。3ヶ月程続いていた」と、教えて呉れた。

ストーヴを挟んで向い合う男性は、くるっと背を向け、机の上のメモ用紙に自分の名を書き込んで又振り返った。南京大学歴史系博士とあり、彼はダイアルを廻して私に話の続きを促した。「青年が祖父を連れて来て、その日の夕方、私は人混みの中を自転車に乗っていた。前には父親が走り、もう1台には中学入学直前の娘が、母親の背中にしがみついて乗っていた。そして、心配そうに私を見ては、先程祖父母の家へ持ってきた、赤い色鉛筆を振っていた。」と話した時、バタバタ、ドドドーッ、女子学生がストーヴの部屋へ跳び込んで来た。3月28日快晴

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