あーゆす12号1頁

『ハムレット』へのお誘い
前副館長・助教授  伊 藤 和 男

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の悲劇『ハムレット』には実に数多くの名言がちりばめられている。読者の年令、境遇、心境など様々な条件が変化することによりその人にとっての名言も変わってくる。学生の頃シェイクスピアの作品に初めて接した時、私にはさほどおもしろいものとは感じられなかった。しかし近ごろ年を経るにつれ、シェイクスピアの作品が私個人にとっても極めて興味ある、重要な文学作品であるという認識に到ったのである。ほんのいくつかの名言を紹介してみよう。

「ああ、ああ、退屈で、愚劣で、平凡で、無意味で、この世のいとなみがどうにもおれには我慢ができぬのだ。…ここは雑草の生い茂る庭だ、荒れはてて、浅ましい、穢らしいものばかりがはびこっている。」 雑草で荒れはてた庭というイギリス的なイメージを使用しハムレットは自分自身の心境を語っているのであるが、ドラマというものはそのせりふが時空を超えて普遍性を帯び、人の心に訴えるものになるところがおもしろい。人生の実相を語る1つの名言であろうか。

「邪な行いはたとえ大地が覆いかくそうとも、いつかは人の前に現われる。」 このせりふも不気味な真実性を帯びて我々に迫ってくるではないか。「何かこの国によくないことがあるに相違ない。」('Something is rotten in the state of Denmark.') ドラマの舞台デンマークのことを指しているのだが、果たしてそこにのみとどまるだけのせりふであろうか? 「なあ、ホレーショ、この天地の間には、われわれの哲学ではとうてい考えおよばぬことがたくさんあるのだからな。」神の前における人間存在の小ささ、その無力なることを謙虚に認める言葉とも言えよう。

「この世の関節がはずれてしまった。」('The time is out of joint.') このせりふなどは、わかりやすく単純な比ゆを用いて、世の中の乱れ、人の心の乱れる様を表現する名言になっていて、ここにはシェイクスピアの秩序への希求が感じられる。

「どういうわけか知らんが、ぼくは近ごろ何に対しても喜びが感じられない。…変に気持が沈んで、この地球という見事な建物さえ荒涼たる岬のようにしかぼくには感じられない。…なんというすばらしい傑作だ、人間って奴は!…しかし、それがぼくにとって何だというのだ、こんな塵のかたまりが? こんなものはぼくにはちっとも面白くないよ。」人生や世界に絶望し、暗い憂愁と懐疑の世界に浸っているハムレットである。

「感情と理性とが調和して運命の神にもてあそばれる笛にならない人、運命の思いのままの音を立てないような人こそまことに幸いなりだ。」 シェイクスピア自身の謎めいた生涯の中で、彼が理想とした人間像の一端がうかがわれる。

「人間とは何だ? もし人間の主要な行為、一生の営みがただ寝ること、食うことでしかないとしたら、獣に過ぎん、ただそれだけだ。」 実に手厳しい、辛らつな言葉である。こんな名言の数々に出会うことの出来る『ハムレット』である。

(引用は筑摩書房シェイクスピア全集『ハムレット』 三神勲 訳より)

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