あーゆす12号2頁

感性を磨く 〜ゲーム脳にならないために〜
教授(サウンドスケープ)  安 本 義 正

最近"ゲーム脳"という言葉を耳にする。これはもちろん良くない意味で使われている言葉であるが、どのような脳の状態かと言うと、コンピュータゲームに夢中になって、ゲームを長くやり続けていると、ゲームに対する集中力は高まるが、画面を直視しての作業によって、脳の後頭葉の視覚野が働き過ぎるようになり、人間本来の思考や創造をつかさどる前頭葉の働きが乏しくなるということである。その結果、理性や道徳心が働かなくなり、いわゆる"キレやすく"なるというものである。現在の子どもや若者を見ていると、何か思い当たるところもあるように感じる。現代社会はコンピュータ社会でもある。コンピュータのない生活は考えられなくなっている。家庭の中にもいろいろなところにコンピュータが活用されており、便利な生活が出来るようになっているが、一方では人と人の温もりのあるコミュニケーションの妨げになっているところがある。コンピュータ社会を生きていく中で、人間らしく生きるためには、心の豊かな人間性も兼ね備えていなければならない。言われたことしか出来ないようなロボット人間にならないためにも、日頃から人間らしさを失わないことである。人間らしさとは、まず豊かな感性を持っていることではないだろうか。視覚中心の現代社会の中で、五感をバランス良く使うことを心がける必要がある。そのようにすることで、豊かな感性が養われ、ゲーム脳にもならず、全身感覚のバランスのとれた脳の持ち主となり、キレることのない人間として生きていけるのではないだろうか。

このような例がある。ある小学校の先生が、国語の時間に、子どもたちに、「雨の音はどんな音?」という問題を、1. しんしん 2. ざあざあ 3. そよそよ の三択問題として尋ねたところ、全員が、2. ざあざあ と答えた。先生の思惑通りであった。この先生、たまたまある障害のある子どもに、「雨はどんな音がする?」と尋ねたところ、「あっちの雨? こっちの雨?」と聞いてきたそうである。雨の音と言っても、落ちる場所で異なるのである。私たちは、雨の音を、ただ、"ざあざあ"とか"しとしと"と、何気なく表現しているが、コンクリートに落ちる雨、木の葉っぱに落ちる雨、屋根に落ちる雨、…それらは皆異なる。日常聞きなれた一つの音でも、場所によって、時間によって、風向きによって、季節によって、まったく違った音色を聞かせてくれるのである。心身の状態によっても聞こえてくる音色は異なってくる。

今私たちは繊細な感性を失っているように思われる。先入観や固定観念にとらわれてしまっているところがあり、独りよがりや思い込みもある。全身感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識)を総動員して、対象を観察する力を養う必要がある。観察の「観」は物事の本質を捉えるという意味があり、物事をただ表面的に捉えるのではなく、本質を捉えることが大切である。

ゲームに夢中になってゲーム脳になり"キレる"ことのないようにするために、全身感覚を総動員して、今一度身の回りの自然と対話をしてみては如何であろうか。全身感覚を研ぎ澄まして、集中して自然の声に耳を傾けることによって、真実の声が聞こえてくるようになる。そして、自分自身の内面を見つめ直すことによって、真実の目覚めに一歩近づき、他者に対しても、自分自身に対しても心豊かな思いやりのある行動へとつながっていくのである。豊かな感性が養われることによって、自然界のすべてのものに、かけがいのない「いのち」を実感するようになり、人間性豊かな生き方が出来るのではないだろうか。

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