あーゆす14号2頁

『トロイラスとクレシダ(Troilus and Cressida)』に思うこと
助教授(イギリス文学)  伊 藤 和 男

シェイクスピア(1564-1616)が名作『ハムレット』とほぼ同じ頃に創作したものとされる『トロイラスとクレシダ』は、喜劇とも悲劇とも呼びうる諸要素が混在し、シェイクスピアの作品の中でも分類しにくい戯曲である。ホメロス(紀元前10世紀頃のギリシャの叙事詩人)の叙事詩『イリアス』の中で今日まで伝わるトロイ戦争がその舞台である。シェイクスピア生誕の地ストラトフォードでの上演を初めて私が見た時、きわめて難解なドラマという印象のみが残っていたが、その後原文で読んでみると、あちこちに人間、社会に関する興味ある言及があり、心引かれた。

ギリシャ軍の将軍ユリシーズは言う。「「時」は、はやる宿屋の番頭ですからな。出て行く客には形ばかりの握手をかわすが、新しい客とみれば、飛んで行って両手をひろげて迎えいれる。迎えるときはえびす顔、別れるときはしかめ面。…世界中の人間はみんな同じ性質で結ばれているんですな、つまり誰でもみんな新奇なものにとびつくのです。」と人間が常に心移りやすいこと、又時代精神も常に変化を求めやすいことを‘Time is like a fashionable host…’と表現したのは見事である。更に「新しいといっても、もちろん古いものをもとにして作ったものだが、ほこりまみれの金よりも、ほこり同然の金ぴかものをみんなもてはやすのです。」と辛辣な調子で述べているが、現代の世の流れとあわせて考えてみるとおもしろい。より良きもの、より美しきものを出現させるために古きものを改めるのなら理解できようが、何とはなしに、古いものとして破壊されていく様子には耐えがたいものがあり、人間の無知、愚かさこそ前面におし出されているものと言わざるを得ない。「世間の目には、目の前のものしかうつらない、…動いているものの方が、じっとしているものより人目につきやすいからな。」というユリシーズの言葉に、人の世の姿、その歩みに対する作者の痛烈な思いが感じられる。

男女の愛について、クレシダは「女は口説かれているうちが天使。うんと言ったらそれでおしまい。…男の人に愛されて、このことを知らない人は馬鹿よ。手に入らぬものを値うち以上にありがたがるのが男心。」と言うのであるが、ここで、あの『ロミオとジュリエット』に登場する若き男女の恋の世界とは全く異なった、成熟した大人のより打算的な、又より情欲中心的な愛の世界に読者は導かれて行く。

ギリシャ軍の総大将アガメムノンの次の言葉は重厚な響きをともなって聞こえてくる。「神は人間の不屈の精神力をお試しなさるのだ。そもそも人間の精神力は、運命の女神に愛されているときにはその真価がわからぬもの。…が、ひとたび運命の女神が怒り、大暴風をまきおこすと、強力な差別の大うちわを使って、一切を吹きあおり、軽いものはたちまち吹きとび、大きな、どっしりしたものだけが、充実した中身によって、ひとり残るのである。」 逆境において、人はその真価を発揮するものなのであろう。「そもそも人間の真価は運命に屈せぬところにありまする。」とギリシャ軍の将軍ネスターはアガメムノンに答えている。

『トロイラスとクレシダ』には様々な角度からの興味ある発言がある。現代の我々はシェイクスピア戯曲の上演を直接経験しなくとも、原文の朗読をCDを通して聴くことにより充分楽しむことが可能である。ドイツの詩人ゲーテ(1749-1832)は、深くシェイクスピアを愛好し、賞讃したが、その文学論の中でシェイクスピア作品の朗読による楽しみ、その重要性について次のように述べている。「シェイクスピアは生き生きした言葉によって効果をあげている。そして、その効果は朗読のさいにもっともよく発揮される。聴手は演出の良し悪しによって気を散らされることがないからである。シェイクスピアの作品が自然な正しい発声でおおげさにならないように朗読されるのを、目を閉じて聴くことほど高尚で純粋な楽しみはない。」

(引用は筑摩書房『シェイクスピア全集』及び潮出版社『ゲーテ全集』による)

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