あーゆす19号3頁

本学の菩提樹
学園長(仏教学)  澤 田 謙 照

ご承知のように、少子化による生徒減によって、志望校を限定しなければ大学全入可能の時代に入って来ましたが、参考までに、私立の大学、短大の学校数と学生数を調べますと、平成19年度における私立大学は580校(学生数約207万2千人)、短期大学は398校(学生数約17万6千人)となっており、国公立に対する私学の割合は、学校数では、大学78.7%、短大91.7%、学生数では、大学73.2%、短大94.1%(『私学必携第14次改訂』(監修私学法令研究会))となっており、学校数、学生数何れも、私学の比率は非常に高いことが解ります。

学生さんが、これだけ多く私学に来て下さっているから、私学は安泰かと言えば決してそうではありません。「国・公立」と同じように「私立学校」も「一つ」に束ねられるかといえばそうではありません。学問・研究は別として、大学580校、短大398校、学校法人、建学の精神、校地、財政、事業、施設、環境等、何から何まで別々であります。その別々の学校の根底が学校法人の「建学の精神」とそれに伴う「校風」であります。

この頃、漸次、死語化しているのではないかと危惧しているのですが、老舗(しにせ)という言葉があります。先祖代々続いて繁盛している店、また、それによって得た顧客の信用、愛顧を意味しますが、最近はマイカー用ガレージを備えた巨大スーパーに顧客が吸収されて、軒を並べていた老舗の多くが店を閉じています。例えば、食料品の老舗は秘伝を守りつつ、その店でなければ得られない微妙な味覚で商いをしていたのでした。残念なことです。

私は、私学は、本来この老舗的学校であるべきだと思うのです。「国公立とやっているところは同じに見えるが、どこか一味違う何かがそこの学生さんにはある」というような学校です。それは、先祖代々継承されてきた歴史と伝統の中で培われる筈のものです。その伝承は決して物質でも、相伝していく人物だけの力量でもなくして、それを活かすべく、願いの中で生き続けてきた精神・心ではないでしょうか。

かつて私は、高等学校時代の教え子のお母さんから、大根の漬けものをお茶請(う)けに頂戴しながら聞いたのですが、「この漬け物の糠(ぬか)は、私が当家に嫁ぐ時に私の母が嫁入り道具の一つとして持たしてくれたものです。住居移転の時も臭いがしても、これだけは運びました。こんな糠でも毎日手を入れてやらないと直ぐ虫が湧きますので手を入れてきましたが、何十年の歴史を持ったお漬け物です。この糠に母の愛を感じながら漬けてきました。どうぞ召し上がれ」ということでした。このお話はあまりにも貴重で勿体なく、私の感想より、皆さまで味わっていただければ幸いです。

私は、小、中、高校がある平安神宮に近い岡崎キャンパスで勤務させていただいた関係上、この宇治キャンパスは新参者です。此処に通勤させていただきながら、ますます思いが深まるのですが、私には、この環境が、お釈迦様が成道されたインドの仏陀伽耶(ぶっだがや)に似た聖地と思えるほど清々しい場所として期待するのです。正門から東に連なる緑の欅隧道は、そのまま悠久なる天竺へと連なるがごとく、その奥には、菩提樹とおもわれる楠の大木を光背(こうはい)にして、本学の中興の祖、大僧正大島徹水先生の胸像、そして、どっしりと構えた「総願の鐘」が常に、十方に「諸行無常(しょぎょうむじょう) 是生滅法(ぜしょうめっぽう) 生滅滅已(しょうめつめつい) 寂滅為楽(じゃくめついらく)」(邦訳「いろは歌」)の真理の音を響流しています。二千五百年の昔、インドは伽耶(がや)の地、ピッパラ樹の下でお釈迦様は正覚(さとり)(bodhi・菩提)を開いて仏陀になられた故に、伽耶は「仏陀伽耶」、ピッパラ樹は「菩提樹(ぼだいじゅ)」(さとりの樹)と呼ばれました。皆さんにとって読書三昧は最高の境地ですが、本学の楠の樹下で瞑想して目覚め、合掌し、「南無仏」と称えて下されば、そこが「仏土」であり、楠が「菩提樹」であります。この宇治キャンパスの味は覚(めざ)めから始まると思うのです。学問・研究が「覚め」という芳香で薫ぜられた人格は、わが国私学の随一として期待されると思うのです。

合掌

(さわだ けんしょう)

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