あーゆす19号5頁

「社会」への回路
現代社会学科・専任講師(政治思想)  黒 宮 一 太

先日、学生に「興味をもっていることは何か」とたずねてみたところ、「ありません」と答えた者がすくなくなかった。多くの人にとって、これは驚くべきことであろう。大学に来て授業にも出ている。友人付き合いやサークル活動、アルバイトに精をだしたり、恋愛にだって思い悩んだりする。そんな毎日を過ごしていれば、「興味」をもって取り組んでいることくらいあるだろうと思うからだ。

そんな学生が増えてくると、大学では非常に困ったことになる。なぜなら、大学で学ぶ「学問」は、何ごとかに「興味」をいだいてはじめられるものだからだ。そういえば、大学生の学力低下だけでなく学習意欲低下なんて話もよく聞かれる。何ものかに興味を示すことがなければ、「学問」へといざなわれることもないということか。

そういうぼくは、これまで、ナショナリズムにかんする研究をおこなってきた。それについて本も書いた。だが、「ナショナリズムに興味をもっているのですね」とたずねられると、おそらく、「そうでもないですよ」と答えてしまう。個人的な興味が研究をうながし、それについての文章まで書かせているかといえば、けっしてそうではない。

「興味」って何だろうか。ちょうど良いぐあいに手元に『広辞苑』があるので、「興味」という言葉の意味を調べてみた。すると、「物事にひきつけられること。おもしろいと感じること。」とある。心理学では、「関心の一種で、特にある対象やできごとに関心を向ける傾向」と考えられてもいるらしい。そこでさらに、「関心」という言葉の意味を調べてみると、「特定の事象に興味をもって注意を払うこと。或る対象に向けられている積極的・選択的な心構え、または感情。」とある。

「興味」とは、自身が「あるものに強く心を傾けること」のようだ。では、「あるものに心が傾く」衝動は、個人の内側からわきでてくると考えてよいか。

女性への興味を考えてみるとわかることだが、ふつうわたしたちは、女性一般にたいしてというよりも、特定の女性に興味をいだく。そして、その女性に興味をもったのは、自身の価値観や美意識などに合致し「心が傾いた」からであろう。

ただし、自身の価値観といえど、個人がつくりだしたものではない。同じ文化に属してきた人びとのあいだで「値する」と承認されてきたことを、わたしたちは「価値」、すなわち「〜に値すること」と呼んでいるのである。

とかく、わたしたちは、「興味をもっていることがない」のは悪いことのように、何ものにも興味を示さない人を諭そうとする。だが、個々人の「興味」のあるなしは、その人の責任に帰するだけで済まされることではない。個々の学生が興味をもっていることがあるかないかは、価値意識の形成がしっかりとなされうる社会であるかどうかの問題でもあるのだ。

何かに強く「心を傾ける」ことが難しくなっている社会、それがいまの日本である。「興味をもっていることが何もない」ということからも、じつは「学問」ははじめられるのだ。

(くろみや かずもと)

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