あーゆす1号2頁

わが学生時代の図書館記
助教授  若 井 勲 夫

もう一世代も昔のこと、京都大学入学式の前日に時計台二階の講堂で新入生ガイダンスがあった。 その時、ローマ法の権威の附属図書館長が、京大の蔵書数は全国で二位だが、東大は関東大震災で焼いてしまい、 古い貴重書は京大の方が多く持っている、また、書庫に入ると自分が何と小さな人間かということがわかると語ったことを 今に覚えている。書物の命運、学問の厳しさが身に沁みる思いであった。

教養部の二年間は旧三高名残の木造の図書室で、専門化せずゆったりと一般教養を手探りつつ、参考図書室に籠り、 大型の辞書や事典に親しんでいた。附属図書館は広い閲覧室に黒光りする大きく堅牢な机、壁には歴代館長の肖像画が 掲げられている。カード室には膨大な書物が目に見える形で粛然と収められている。また、職員の好意により書庫に入れていただき、 まずエレベーターに驚き、天井に届くほど高い書架が整然と並ぶ状景に圧倒された。和本は帙に入り、達筆の書名が記されている。 分類は勿論京大独自の方法である。長年の伝統の重みが本の重みとともにのしかかってくる。 私はこれで果たしてやっていけるであろうかと不安感に打ちのめされた。また、11月の学園祭の最中、我関せずといつも通り 静かに開館しているのに感動した。授業は休みであっても、研究は休むことなく続けられる。厳然たる学問の自立と図書館の 独立的存在を実感し、戦時中、工事の中断のまま完成した二代目図書館の雄姿を改めて仰ぎ見た。後の大学紛争時は止むを得ぬ 臨時休館が少しあったが、自主性は最大限守られた。

文学部では哲史文の三学科に分かれて閲覧室と書庫があり、書庫は開学以来自由に出入りできる。暗く陰気で所狭しと並ぶ 書架の間を縫いつつ、古書独特の黴臭さを味わう。手垢に汚れ、ぼろぼろになった本もある。製本した雑誌類、写真撮影した 自家製の文献、洋装本の間に無造作に立っている和本、片隅には巻子本や桐箱入りの棚がある。うろうろと模索した教養課程と 違って、奥深い学問世界の一端に触れる思いであった。

本を借りて読みながら、大抵の書に書き込みや誤植訂正、傍線などの印を見つける。確か漱石の「三四郎」にも これに驚く場面があった。一体誰がいつ書いたのか、同好の親しみと懐しみを感じた。一方、時にほとんど読まれた形跡のないのも あり、何となく優越感に浸りつつ、この本はいつか読者を待っていたのだと充実感を覚えた。座席は好みの場所というものがあり、 一度座るとそこでないと落ち着かない。周りを見渡しても同じような顔触れで定まっていく。専攻が違い、言葉を交わすことが なくても何となく親愛の情を感じ、何を調べているのだろうとふと気にかかる。

国文のある先生は「本の顔を見よ」と常々言われた。カードを繰りながら他の本のことも目にするが、実際に手に取って、 装幀や体裁、目次など一冊ごと身近に親しむように接するということである。ある本を捜していて、他の本に目が行くことが よくある。そこから思い掛けない発見や発展に至る。この経験、実感が学問研究に大事なことである。

学生時代の青臭く迷える図書館体験が現在の私に達している。図書館は私にとって、情報ならぬ知的活動の基盤であり、 孤なる精神世界である。

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