あーゆす20号1頁

モノをそまつにする人間は人間もそまつにするようになる
京都文教短期大学図書館長
児童教育学科・教授(幼児教育学)  照 屋 敏 勝

私がそのことを痛感するようになったのは、学生時代に牛乳配達をしていたからである。大学の3〜4年の2年間、東京都練馬区の中村橋駅(西武池袋線)を中心としたエリアで牛乳配達をして生活していた。そのときに、家庭によって牛乳ビンの扱い方が異なることに気がついた。毎日きれいに洗ってかえす家庭もあれば、洗わないままかえす家庭もある。1週間分洗わないままごそっとかえす家庭もある。牛乳ビンに対する対応はさまざまである。牛乳は腐りやすいので、夏場になると、ビンにナメクジが付着したり、極端な場合はウジがわいたりもする。

配達に出かけるのは午前4時である。午前3時に起床して間借りしているアパートから配達店まで自転車で行き、準備して4時頃から配達に出るのである。暗い中での配達である。各家庭はまだ起きていない。牛乳ビンがどうなっているかは分からない。牛乳箱に素手をつっこんだときにヌルッとした不快感があれば洗っていないということである。明るくなってから配達する家もあるので、そういうところでは最初からはっきりしている。

牛乳びんはモノであるが、そのモノにそれを扱う人間の心が反映されるのである。したがって、ナメクジやウジは牛乳ビンから発生しているのではない。その牛乳ビンを扱う人間の心から発生しているのである。牛乳ビンは内視鏡のように暗い中でもその家庭の状況が如実に視えてくるモノである。

仏教は〈物教〉でもある。モノの〈いのち〉と〈こころ〉を教える宗教でもある。モノはものではない。いのちなのである。いのちと考えれば扱いも違ってくる。モノをそまつにするということは、いのちをそまつにするということである。そのことを常に強調されているデザイナーがいる。僧籍を持つ世界的なインダストリアルデザイナーである栄久庵憲司氏である。『道具考』(鹿島研究所出版会)、『インダストリアル・デザイン』(日本放送出版協会)、『幕の内弁当の美学』(ごま書房)『道具の思想』(PHP研究所)、『仏壇と自動車』(佼成出版社)などの著者である。

1990年、京都で開かれた全国仏教保育大会で栄久庵氏は記念講演をされた。私もある分科会の助言者として参加したので、その講演を拝聴した。まさに発想を変える新しい独創的なモノ観であった。栄久庵氏は『道具考』の中で道具道の内容として次の4つを提案されている。

1つは、道具の心を探すこと
2つは、道具の作法を探すこと
3つは、道具の躾を探すこと
4つは、道具の力を探すこと

「道具」という言葉はもともと佛教語である。仏道修行に必要なさまざまなモノが道具である。道具は使い方によって修行や人格形成に対する貢献度がちがってくる。「作法」は使い方や動作方法のことであり、「躾」は使い方の見事さや使い方の制限であり、使い方のエチケットである。現代社会は「ケイタイ」の車内使用や放置自転車を見れば道具の使用がいかに不作法、不躾になっているかが解る。道具の受難時代である。道具は人間の生活を便利にし、人間の心を豊かにしているのであるから、道具四道をもっと大切にする必要がある。

(てるや としかつ)

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