あーゆす20号6頁

『かいじゅうたちのいるところ』を読んで
児童教育学科幼児教育コース1回生  室 田 ま ど か

1回生の長期課題であった「絵本ノート」を作成した私は、それをきっかけに多くの絵本と出会った。そして、その出会いを通して、絵本が単に子どものためだけのものではなく、大人にとっても大変興味深いものであることを知った。私は、「絵本ノート」の中で最も印象に残った一冊を、ここに取り上げてみようと思う。

その絵本は、モーリス・センダック作の『かいじゅうたちのいるところ』である。

まず、この物語のあらすじについて述べておこう。ある晩、主人公マックスは狼の着ぐるみを着て大暴れし、怒った母親に罰として夕食抜きで寝室に入れられてしまう。すると寝室に木が生え始め、あたりは木々が生い茂る森となる。そこへ今度は波が打ち寄せ、1年と1日航海したマックスは、やがて怪獣たちのいる所へと辿り着く。恐ろしい怪獣たちが現れるが、マックスは怪獣たちを従えて王様として君臨し、みんなで踊ったり騒いだりする。十分に楽しんだマックスだったが、急に寂しくなって優しい誰かのもとへ帰りたくなる。マックスは怪獣たちの王をやめ、また1年と1日航海して、母親に入れられた寝室に戻る。すると、そこには母親の作った温かいスープが置いてあったという物語である。

初めてこの絵本を読んだ時、私は、この物語は「マックスが眠りの中で見た夢」だと思った。しかし、母親の置いていったスープがまだ温かいうちに目覚めたというのに、マックスの寝室から見えていた三日月が、戻ってきた時には満月になっているのである。混乱した私は何度も読むうち、ようやくこれがマックスの「空想」の世界であることに気付いた。この絵本の挿絵は、ページが進むにつれて画面が大きくなり、絵がページ全体を占める部分に文字はない。そして、また徐々に絵が小さくなっていくのである。これはマックスの空想の世界の広がりを表わすものであり、「遊びに夢中の時には言葉はいらない」ということなのだろう。また、よく見ると、人間の足をした牛に似た怪獣が覗き込んで途中から仲間入りし、マックスを肩車したり、同じ姿勢をとったりしている。多分、この怪獣はマックスの父親なのだ。マックスの空想の世界を壊さないようにそっと父親が忍び込み、一緒に遊んだのだろう。面白いことに、刺々しいマックスの表情も空想に浸るところから変化し始め、怪獣たちと遊ぶ所では本当に楽しげである。そして、その場面から三日月が満月に変わるのだ。おそらくこの月の変化は、時間の経過ではなくマックスの心のありようを示すものだと思う。大暴れを中断されたマックスの不満は、怪獣たちに君臨するという空想の世界を満喫することで消化され、充たされた。そして、本来の自分を取り戻せたからこそマックスは母親のいる家が恋しくなった。そう思ってマックスの部屋を見ると、帰宅した時の部屋の色が何となく暖かい色に変わったように思えるのは気のせいだろうか。

この絵本は一貫して子どもの視点で描かれていて、子どもへの教育的なメッセージ性は少ない。しかし、マックスの空想の世界に子どもたちは大いなる共感を覚えることだろう。何故ならば、子どもの生活のほとんどは大人の常識によって制約されていると思われるからである。マックスが帰って来るきっかけは、遠い世界からのおいしい匂いだったし、最後の場面に夕御飯が置いてあって「まだ、ほかほかとあたたかかった」のは、戻るべき温かい現実があるからこそ、子どもは安心して空想の世界を行き来できることの現れだろう。温かい現実性のない空想は、「逃避」に繋がる危険性を秘めている。そう思いながらこの絵本と向き合うと、大人が子どもの気持ちに寄り添い、良い信頼関係を築くことの大切さを感じずにはいられない。保育に関わる人だけでなく、いつか親となる全ての人に、是非読み込んでもらいたい絵本である。

『かいじゅうたちのいるところ』 モーリス・センダック 作 ; じんぐうてるお 訳 / 冨山房

(むろた まどか)

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