あーゆす5号1頁

< 聴 く >の 重 要 性
図書館長・教授  照 屋 敏 勝

われわれは誰でも<聴く>ことができると思っている。しかし、<聴く>という行為はそんなに簡単なことではない。おしゃべりしながら聞く、テレビ見ながら聞く、よそ見しながら聞く。何でもないことのように思える。しかし、それはほんとうの<聴く>ではないからである。<聞く>と<聴く>は基本的に違う。<聞く>は一般的にどういうばあいでも使えるが、<聴く>は問題意識や課題意識をもって、心を集中して注意深く聴くばあいの言葉である。<聴>という字は「耳」と「目」と「心」で構成されている。大きな耳になっているのは多く聴くためであり、一つも聴きのがさないためである。御仏の耳が大きいのもそのためである。話す人の目をまっすぐ見て聴くので、「目」という字も入っている。

ミヒャエル・エンデの『モモ』は現代児童文学の傑作の一つであるが、われわれに<聴く>重要性を教えている。モモは見かけはいささか異様で、きみょうなかっこうをした不思議な少女であるが、すぐれた聴く力をもっている。

モモは現代の聖(ひじり)であり、カウンセラーであるともいえる。両者とも徹底して他者の話を聴く人である。「聖」は「耳」を「呈」するという字になっている。つまり自分の耳を相手に差し出すということである。人々の悩みや苦しみや悲しみを徹底して聴くためである。

「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能を持っていたのです。

モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。」

モモは聴く人である。「モモのところに行ってごらん!」が人々のきまり文句になっていた。エンデがモモにすぐれた聴く力を与えたのは、現代人の聴く力が衰弱してきていると考えたからである。特別の力ではなく、誰もが持っている能力を顕在化させたのである。

現在の子どもたちの不幸の一つは、子どものまわりに子どもの話をほんとうに聴く人がいなくなっているということと、子どもたちのなかに人の話を聴く力が十分に育てられていないということである。

戻る

京都文教大学図書館 京都文教短期大学図書館
〒611-0041 京都府宇治市槙島町千足80番地

Design Concept by MoogaOne