あーゆす8号1頁

早春に思うこと
副館長・助教授  伊 藤 和 男

早春 ― この言葉が私は好きである。長く厳しい冬を乗り越えてやがて来たるべき花々の春を予感させ、その先駆けとなるこの言葉が。とりわけクロッカス、スイセンなど、イギリスの早春を彩る花々が私の心を常に引きつける。イギリスの庭園、公園には、特にスイセンが群をなして植えられていて、それらが早春の光と風を受け美しく揺れ動き、見る人々の心を暖めてくれるのである。ロンドンのハイド・パーク、ケンジントン・ガーデンズなどの有名な公園に美しく咲き乱れるスイセンの姿をはじめて私が見た時、なるほどあのイギリスの詩人ワーズワース(1770-1850)が歌ったスイセンの描写の意味するところはこのようなものだと感得することが出来た。

自然を愛し、そこに人生を生きるための精神的支柱を感じ取ることの出来たワーズワースの言葉が思い起こされる。「自然をして汝の師たらしめよ。」("Let Nature be your teacher.") 神の創造した自然こそ、それを真剣に観察し味わう能力のある人間にとって最高の知恵の宝庫であり、人生の師であると言う。常に自然の中で、謙虚であること、人間の判断や知識、知恵の未熟なことを忘れず、自然からの恵みを尊重し慎ましく生きて行くことの大切さをワーズワースの作品が語っていると言えよう。

今日、我々を取り巻く世界状勢は、人類がかつて経験したことがないほど極度に緊迫したものになっている。我々は生きるべき道を忘れ、ただ運命の操り人形のようにさまよっているのではないか。こんな不安な時代に、私が思い出す、同じイギリスの詩人、ジョン・キーツ(1795-1821)の言葉が深く胸を打つ。それは「消極的受容能力」("Negative Capability")という言葉である。「つまり人間が真理や理由に苛立って到達しようとせずに、かえって不確かさや、謎や、疑惑の中に安んじていられるときの力なのです。」とキーツは彼の弟にあてた手紙の中で説明をしている。不安な時代、危険な時代、何が真理なのかわからない時代の中で、自分自身を見失うのでなく、その不安の真っただ中にじっくりと腰を据え、やがて訪れるであろう真理の到来、救いの到来を待つという考え方であろう。

人間は歴史始まって以来、常に悩み、苦しみの中で苛立って生きて来たのが実相とも言えよう。新約聖書マタイ伝にあるキリストの「山上の垂訓」の中の、「野のユリを思え、労さず紡がざるなり。」という感動的な言葉が私の脳裏を駆け巡っている。明日のことを煩い、労すること、そして争うことの絶えない人類の歴史を思う時、早春の花々の自然な生き生きとした姿を眺め、その輝かしくも慎ましく、愛らしい光景に心慰む思いがする。21世紀が、様々な苦難を乗り越えて、寒い冬の彼方に、早春の花々のような、さわやかで安らぎに満ちた希望を確実に抱くことの出来る時代であってほしいと、今心より切望する。

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