Teacher's LinkTop 現代社会学科 准教授 永澤 哲
ケニアの位置

※1. 輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)
「行為」を意味するサンスクリット語「カルマ」を漢字にすると「業」となる。一時的に人間の肉体が滅びても、意識の連続体は滅びることなく、「業」の働きによって過去から現在へ、そして未来へと生まれ変わるという仏教の考え方を輪廻転生という。現在の生をどう生きどう死ぬか(=業)によって、次の生が決まるとされる。人間に生まれ変わるとは限らず、昆虫・動物・鳥、あるいはそれ以外の生命種などに生まれ変わることもあるという。チベット仏教の教えによれば、すべての生きとし生けるものは輪廻転生すると考えられている。
chapter I 「死」を身近なものととらえる チベット仏教の考え方
 チベット人と日本人は、よく似た顔立ちをしています。さらに日本語とチベット語は文法がほぼ同じ。数字の数え方も似ていて、チベット語では1から10までをチッ(1)、ニ(2)、スム(3)、シ(4)、ガ(5)、トゥク(6)、ドゥン(7)、ゲー(8)、ク(9)、チュウ(10)と発音します(これは、チベットも日本も、ほぼ同じ時代に、古い漢語から数字を借用したことを意味します)。
 しかし一方で、チベットの文字と日本語の文字は全く違いますし、また両者の考え方にも大きな違いが見られます。チベット人は「死ぬこと」や人間が何度も生まれ変わる「輪廻転生(※1)」を当然のことだととらえ、「いかに死ぬか」、「よく死ぬか」について日常的に考えています。

 チベット人は、高原での農耕、牧畜とともに、シルクロードで交易を行ってきた商業民族でもあり、財を築く才能に恵まれた、現実的な人々です。ですが、その一方、世俗のなりわいだけでなく、精神的、霊的な世界に莫大なエネルギーを投入してきました。「人間は必ず死ぬ」という事実や「来世」について考えながら人生を送り、ブッダの教えにある「仏国土」を実現させようと、本気で考えてきた人々です。全人口の約三分の一が、僧侶という時期もあり、バタイユという哲学者は、消費をめぐる著作の中で、聖なるものを中心に展開したその経済について、アステカとならべて、詳細な分析を行っています。
 実は日本においても、法然や親鸞が生きていた頃、すなわち平安、鎌倉時代の日本人は仏教に対する強烈な信仰を抱き、「死」を意識しながら生きていたのです。その点について、14世紀ころまで、日本人は、チベット人とそれほど変わらなかったのではないかと思われます。しかし、南北朝以降、次第に社会の世俗化が進み、とくに戦後は、生産性を上げるなど「生」の部分にスポットライトを当て、物質的に豊かな社会の実現をめざしてきました。その結果、現代の日本にはモノがあふれていますが、一方日常のなかで「死」について考える機会はほとんどなく、むしろ隠されているといってもいいでしょう。「人間はいつか死ぬ」、これは自明の事実です。「死」が組み込まれていない文化はどこかで破綻する可能性があるのではないでしょうか。死について考えるから、よりよく生きられる。「死」への準備をしながら生きていくというチベット人の考え方や生き方、仏教について学ぶことは、私たち自身の生き方と文明を考え直す大切なきっかけになると思います。

Next chapter
京都文教大学TOP