「道」を歩み続けること、人とともに続けること。
時に支えあい、わかちあう。

01 現在の仕事(くらし)について教えてください。

アーティストとして活動する夫のサポートやアシスタントをしたり、日本舞踊を教えたりしています。

結婚をしてからは、夫の仕事を手伝っています。作品の受注から発送、事務などです。注文は海外からが9割ですね。他にも作品制作の資材調達や、制作時にその補助をしたりしています。

日本舞踊は高校生の時から始めて、20年くらい経ちました。10年くらい前に名取の資格もとり、母校でもある京都文教高校の日本舞踊部の後輩たちに教えたり、他の高校でも教えていました。

仕事風景2枚目

-日本舞踊を始めたきっかけは?

見た目だけ!(笑)。「舞妓ちゃんみたいやな~」って思って、「私、これしたい!」って。

私は中学校から「京都文教」だったんですけど、当時は文化祭で「舞台部門のクラブ発表会」というのがあって、けっこう本格的にするんですよ。高校3年生はかつらもつけて、衣装も本物を着て、お化粧も白塗りのしっかりした感じで。それがきっかけです。

高校卒業後もクラブに教えに来てくれていた先生のところに習いに行って、それが現在まで続いています。それでその流派を通じて国際交流イベントのお手伝いなどもしていますね。

これだけ続けていると単なる趣味では済まないレベルになってきているので、昨年に開業届を出して、「事業」として行っています。

-「個人事業主」ということでしょうか?

はい。他にも学生時代に留学して修得した英語力を活かして、今年から「オンライン英会話教室」を始めました。あとは、手芸などの手仕事が好きなので、和小物を作って、インターネットで販売するという事業も始めています。

仕事風景3枚目

02 なぜこの仕事(ライフスタイル)を目指そうと思ったのですか?

内定取消になって、「もう誰にも雇われんとこ。正社員なんかにならんと、自分のやりたいことをしよう」と決意しました(笑)

就職活動に失敗したことが大きいですね。新卒採用で久御山町にある企業で内定をもらっていました。当時は業績が良かったみたいで、研修も兼ねて内定直後からアルバイトとして勤務してたんですけど、リーマンショックで業績不振になり、民事再生することになって、会社から「残りますか?どうしますか?」と言われました。それでその会社へ就職するのはやめました。

その後、就活もしたけど、結局進路が決まらないまま卒業しました。それで私も頑固な性格なので、自分のやりたいことをしようと思いました。それからは京料理屋やアイリッシュパブ、英会話教室、KBUのサテライトキャンパスなどでアルバイトをしていました。夫と出会ったのも大学を卒業した、その頃です。

日常風景

-今のライフスタイルはご主人からの影響もありますか?

「妥協」をしない。常に「もっと良くなるはずだ」という思考で動く。

あります。彼は「常識」では動いていない、何でも自分で決めて、何でも自分で動きます。そのぶん失敗も多いんですけど、そうしたらまた考えて、立て直しての繰り返しで。「やってみたからダメだったことがわかった」という感じで、すべてにおいてポジティブなところが刺激的でしたね。とにかく「安全」を選ばない。「無難に」ということが無いんです。

私はどちらかというと計画的なタイプなので、彼のようなスタイルはできないけど、刺激は受けますね。自分で考えて、自分で行動する。妥協はしない。その部分は自分の今のスタイルになっていますね。

仕事風景1枚目

-現在の仕事(くらし)をしていて思うことはありますか?

一つの考えに固執しなくなりましたね。続けていれば、繋がるし、広がる。

今のライフスタイルでは、とにかく自分で考えて、動かなければ「お金」を得ることはできません。それはとても苦しいこともあるけど、楽しさの延長線上にあることでもあります。そのことを最近は強く思います。

だから「仕事」は一つじゃなくていいなと思ってます。それよりも自分がやりたいこと、好きなことを続けよう。続けることで形になるものもあるので、じっくり、一生かけて続けられる「仕事」を見つけていこうと思います。事実、日本舞踊を20年続けて、それが形になっています。それと同じように続けることで生まれるものがあるんじゃないかと思っています。


03 どんな学生時代を過ごされていましたか?

留学や海外実習を経て、それまでの価値観が変わったことと、サバイバル力が身につきました。

高校生の頃から海外留学と国際援助に関心がありました。高校生の時に京都文教大学へ行く機会があって、その時に文化人類学科に「エチオピアに小学校をつくろう!」というゼミがあるって知って、進学を決めました。

実際にエチオピアへ行って価値観が変わりましたね。それまで「貧しい=かわいそう」と思ってしまってたんですけど、エチオピアの子ともたちは貧しいかもしれないけど、楽しそうに過ごしている。私たちの「かわいそう」は私たちの価値観からの「かわいそう」だったんだって気づかされました。


ーリンフィールド大学との交換留学生第1号としてアメリカへ1年間留学もしていますね。

ひと言でいうと「心の修行」。トラブル続きで、頼れる人も近くにおらず、そしてとにかく寂しい。

大学生になったら英語圏の大学で語学留学をしたいと思っていました。ちょうどKBUとリンフィールド大学との交換留学協定の話がまとまったところで、キング先生に勧められたこともあって、行くことにしました。

でも、行ってみるとまあまあ大変で(笑)。例えば、ある日大学の事務局から寮の部屋に手紙が届いたんです。「現在利用している部屋の料金が支払われていません」って。どうにかしなきゃいけないんですけど、何処で、どういう手続きをすれば良いのかもわからない。大学の「留学生センター」みたいなところへいって、「どうしたらよい?」ということを質問するのも一苦労なんですよね。

今となっては、あのときの苦労があるから、それに比べればこんなこと簡単ってけっこう思いますね。「サバイバル力」、それは確かに鍛えられましたね。

ポートレート

04 学生時代の「自分」に向けて一言メッセージをどうぞ

「続けること」が大事なのと、やりたいと思ったことをどんどんやって正解やから、そのまま行きなさい。そのまま進め。

結局、私の場合、すべてが繋がっているんです。学生時代にリンフィールド大学に留学して、英語を覚えて、その時のスキルが夫の海外向けの業務の時に役立っている。日本舞踊も続けてきたからこそ、今は教える立場に立てる。

新しいことをやるつもりやったけど、その発想が今まで続けてきたことを発展的に続けることになっている。好きだったこと、がんばっていたことが背景にあるんやなって。結果としてそうなっている。

続けることで人との出会いや繋がりも増えて、その人たちから新しい仕事を頼まれたり、こちらからお願いしたりする。それはラッキーだと思うし、とてもありがたいことですよね。

夫婦写真

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